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財政健全化が進んだことを背景に、一九九五年からむしろクローネは上昇している。
そうだとすると、スウェーデン成功の秘訣を、クローネの下落で片づけるには無理があるといわなければならない。 一九三0年代に、ロンドン「エコノミスト」誌はスウェーデンが世界恐慌の波に飲み込まれなかったことを見て取り、スウェーデンを世界恐慌という「絶望の海」に浮転換期に生じている、大不況という「絶望の海」に浮かぶ「希望の島」として、スウェーデンを称えることができる。
しかし、悲しいかな。 二O世紀から一二世紀の世紀転換期の大不況という「絶望の海」には、ウェーデンという「希望の島」の対極に、日本という「絶望の島」も浮かんでいるのである。
二兎を得たスウェーデンの物語と、二見とも得ることのできなかった日本の物語は、「スウェーデン・モデル」の成功と「日本モデル」の失敗という「二都物語」として受け取られやすい。 日本が失敗したのは、「日本モデル」を捨て去り、グローバル・スタンダードを受け入れる「構造改革」を怠ったからである。

市場万能主義者はそうした顔で説教をしながら、一刻も早く「構造改革」を実施し、グローバル・スタンダードを受け入れた競争社会を実現することを迫っている。 そうだとすれば「スウェーデン・モデル」を復権させることによって、サクセス・ストーリーのシナリオを描き、見事に成功させたスウェーデンの教訓を説明できない。
日本の失敗は、「日本モデル」の失敗ではない。 日本の失敗は「日本モデル」をかなぐり捨てて、アメリカのRの教えを無批判に受け入れたことに原因がある。
確かに、「日本モデル」は行き詰まっていた。 しかし、それは歴史的状況が大きく転換したからである。
そうだとすれば、「日本モデル」を歴史的状況の変化に対応して再生させることこそ、選択すべきシナリオでなければならない。 もちろん、不可逆的な歴史的状況を、元に戻すことはできない。
しかし、未来は現状を部分的に否定して形成するしかない。 それを無批判にも、現状を全否定し、「日本モデル」をかなぐり捨て、アメリカン・スタンダードならぬアメリカン・バイアスを受容することしか選択肢がないと信仰したことが、日本の失敗なのである。
しかも、失敗に学ばずに、今だに「競争社会」を目指している。 現状を全否定し、「日本モデル」を捨て、アメリカン・スタンダードならぬアメリカン・バイアスを受容することしか選択肢がないと信仰したことが、日本の失敗なのである。
しかも、失敗に学ばずに、今だに「競争社会」を目指す「構造改革」が連呼されている。 スウェーデンの成功は「スウェーデン・モデル」を、新しい歴史的状況に合わせて再生したことに起因している。

日本も歴史的状況の変化に対応させて、「日本モデル」に大手術を施すことが必要だったのである。 それを、トロイの滅亡を予言したKが、あたかも日本の滅亡を予言したかのごとくに触れ回り、「日本モデル」をアメリカン・バイアスと入れ換えなければ、日本には「死」しかないという市場万能主義の強迫に屈したことが、今日の日本の悲劇の開演を告げるボタンを押させてしまったことになる。
とはいえ、「日本モデル」に大手術を施す「構造改革」が必要であることだけは間違いない。 というのも、二O世紀から一二世紀への世紀転換期に、人類は「歴史の峠」を越えようとしているからである。
つまり、「日本モデル」が適応しなければならない歴史的状況の変化は、圧倒的な歴史の力によって生ずる大変化だからである。 こうした「歴史の峠」を越えるような総体としての社会の「大転換期」に生ずる財政危機を、S的財政赤字と呼んでおくことにする。
S的財政赤字とは、社会の大転換期、つまり総体としての社会が危機に陥った時に生ずる財政赤字である。 スウェーデンの教科書では、危機とは「あやうい」ことを意味する「危」と、「変化の可能性」を意味する「機」から構成されていると子供たちに教えている。
変化の時代には、いつも「あやうい」事態が生ずる。 「大転換期」は危機の時代であり、危機の時代には必ず財政が赤字になるというのがSの主張である。
S的財政赤字が発生するということは、財政危機が社会全体としての危機の結果に過ぎないことを物語っている。 戦争あるいは内乱が生じて、社会秩序が乱れれば、社会防衛あるいは社会秩序の回復のために、財政支出は増大する。
そうなると結果として、必ず財政危機が生じてしまう。 不況が深刻化して、経済危機が生じると、財政収入が減少して、結果的に財政危機が生ずる。

結果にすぎない財政危機を、原因に手を付けずに解消しようとしても意味がない。 それは戦争を戦っている過程で、財政再建を旗印に財政支出を削減する政府など存在しないことを考えてみても明らかであろう。
不況という経済危機から、財政危機が生じている場合でも同様である。 財政収入に合わせて、財政支出を削減してしまい、結果として必要な公共サービスが供給されずに、社会秩序が乱れてしまえば、身も蓋もない。
そうだとすれば、財政を再建するためには、財政危機を生じさせている原因を除去しなければならないことがわかる。 それだからこそ、「二兎を追って二兎を得る」ことができるということがいえる。
もちろん、原因である「一兎」を見誤ることなく追って、的確に捕らえれば、「二兎」をも得ることができる。 しかし、原因を見誤れば、「一兎」を捕らえてみても、結果である財政は再建されずに、「二兎」を得ることはできないのである。
財政赤字は社会的危機や経済的危機の結果であって、社会が総体として転換する「歴史の峠」では必ず、シュンベーター的財政赤字が生ずる。 こうしたS的財政赤字の理解は、財政の原点を知れば、容易に理解できる。
財政という言葉は、明治時代に日本で造り出された言葉である。 K教授によると、Fが明治一O年に出版した『民間経済録』で使用して以来、広汎に用いられるようになったようである。
現在では日本で造り出された財政という言葉が、中国にも逆輸出されている。 このように財政という言葉は、明治時代までは存在しなかった。
というのも、財政という現象が明治時代までは存在しなかったからである。 財政とは「パブリック・ファイナンス」の翻訳語である。
ファイナンスとは貨幣現象を意味する。 したがって、パブリック・ファイナンスとは公的貨幣現象を意味することになる。
江戸時代を考えてもらえばわかるように、年貢は納めても、租税という貨幣を納めることはない。 「税」という文字すら本来は貨幣を意味しない。

「税」の「芳」である「党」の「八」は「人」、「口」はそのまま「口」を、「ん」は「聞く」を意味する。 つまり、役人が、租税が納まり口を開いて喜んでいることを「税」は意味している。
しかし、納まるものはあくまでも「偏」の「禾」で示されている穀物なのである。 それでは明治期になると、どうして「租税」という貨幣現象が出現するかといえば、明治時代になって市場社会が成立するからである。
市場社会というのは、人間が生産した生産物を取引する生産物市場が存在する社会ではない。 市場社会というのは土地、労働、資本という生産要素を取引する要素市場が存在している社会である。

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